連載!税の読み物、発行図書・ビデオ
 
トピックス
フォーラム納税協会60
第1部 分科会
成功事例から中小企業が抱える問題解決の核心に迫る
 
 納税協会連合会では、平成15年10月6日、NHK大阪ホールにおいて、「がんばれ関西・中小企業! 勝者の道を探ろう。」と題して、納税協会創立60周年記念「フォーラム納税協会60」を開催しました。

  第1部は、3つのテーマに分かれて分科会を開催。第2部はパネルディスカッションが行われました。(第2部の内容は、平成15年12月号に掲載)

  1月号より3回にわたって、この第1部分科会の内容を紹介しています。


テーマC 新展開、柔軟な発想で風穴をあける


事例発表1 「職人の伝統技術と顧客のニーズをインターネットで結ぶ」
  心斎橋みや竹 代表 宮武 和広 氏
   
   100年続いた傘屋の老舗が、1996年、営業不振で閉店、インターネットビジネスに再起をかける。職人ブランドを前面に出し、完全カスタムメイドで在庫ゼロを実現。これまでの概念を覆す逆転発想で、傘文化の技術と伝統を守る。
   

 

 

■「老舗の店からインターネットショップへ」

 専門店の老舗が軒を連ねる心斎橋筋で、四代にわたって傘屋を営んでいましたが、1990年の花博以降赤字に、そして遂に95年、これ以上続けていくことができない状況に追い込まれ、「心斎橋みや竹」を閉める事態に至りました。私は四代目とは言いながら、あまり商売に熱心ではなく、その時まで何もせず手をこまねいていたことを後悔するとともに、自分に腹立たしい思いでいっぱいでした。このまま幕を引くわけにはいかない。といっても傘屋しか知りません。

  そんな時、偶然手にした「ウインドウズ95」の本で、将来インターネットで物の売買をする時代がくるかもしれないという記事を目にしたのです。資金も少なくて立地条件も関係ない。これだと思いました。しかし、周囲の反応は「雨が降るから傘が売れる。インターネットのどこで雨が降る」と、異口同音に反対です。それがおそらく「かさやドットコム」の成功の第一歩だった。つまり、絶対ビジネスチャンスがありようもないと言われるところに、実は莫大なチャンスがあるということです。

■大手ブランドから職人ブランドへ

 自分のリアルの店を、サイバーに変えることができました。そういうことで第1の壁は何とか乗り越え、少しずつでもインターネットショップの暖簾を勝ち取ることができた、と思っていた矢先、傘の最大手MB社より、ブランド商品の権利関係で問題が発生し、それが解決するまでブランド商品を一切削除してくれという電話が入ったのです。心斎橋と同様、ブランド中心ですので、それをとったら何も残りません。焦りました。しかし進むしかありません。

  そこで私は、基本に立ち戻って考えました。ブランドは売れる、しかし、売れる商品イコールいい商品か、傘の真髄は他にあるのでは、ということで源流に行こうと思い、一念発起して2か月ほど店を閉め、傘の旅をしました。傘は知っていますが、傘づくりの現場は知りません。そこで全国の傘職人を訪ね歩いたのです。自分の目で、手で直接交渉すれば権利関係もなく、そこでいろいろ宝物をいただきました。

  これは1つの逆転発想です。専門店等では決してメインにはならない職人ブランドを前面に出した。そしてその商品のうんちく、ストーリーを出すという演出をしました。今までの傘屋からいうと冒険です。

  新たなスタートでしたが、その時NHKのハイビジョンで傘の特集のコメンテーターを依頼され、そこから「かさやドットコム」のブレークが始まりました。今まで負を逆転発想でプラスに変えてきました。インターネットでは逆転発想のポイントというのはいろんな局面であります。

  たとえば今、私はターゲットを絞り込むということをしています。通常は「誰にでもフィットする、どんな方にも似合う」というフリーサイズという感覚で売っています。職人のつくる傘で80センチという特大の傘で4色がありますが、売り方として、この色は何々に使ってくださいというようにターゲットを決めています。

■カスタムメイドシステムで在庫ゼロ

 心斎橋の時と一番違うのは、カスタムメイドシステムを全面的に取り入れ、在庫が全然ないということです。21世紀というのは、必要な物を必要としている人に必要なだけつくりお届けする時代です。フルオーダー、パターンオーダーなど数種類ありますが、半ばコンサル型で商品を組み立てていきます。注文をいただいてからつくりますから、必然的に在庫はありません。しかも前金です。また、約2万円と高い。さらに4〜6週間待っていただく。今までの商いからは考えられないことです。しかし、お客様の満足度は高く、感謝のメールがどんどんきます。

  カスタムメイドというのは、目の前のパーツを単に組み合わせるだけで終わりません。その傘はお客様にはかけがえのない、オンリーワンのものです。そこでアフターフォロー、アフターマーケットが必要になります。職人ブランドはモデルチェンジもなく、10年、20年経ってもパーツの取替えが可能です。

  傘をなくす、壊れる、流行といったことでリピート客を呼んでいたのが、今までの店です。私は傘をなくさない限り、20年は使っていただけますと、明記して売っています。まさに逆転発想です。

  私は幾多の試練を逆転発想で、それをビジネスチャンスにして乗り越えてきました。一度、自分の「縛り」を解いて考えてみることが大切だと思います。そこからすばらしいビジネスチャンスが生まれるかもしれません。



事例発表2 「ミラノをモデルに、元気な中小企業の街づくりをめざす」
  異業種交流会「フォーラム・アイ」 代表幹事 佐藤 元相 氏
   
   イタリア・ミラノの中小企業が元気だ。フォーラム・アイは大阪市生野区の企業39社が集まって「生野を日本のミラノに」をコンセプトに活動を展開。ミラノとの軽工業分野の交流会をはじめ、国際ブランド作りに挑戦している。
   

 

 

■我々の不況は中国のせいか!?

 「フォーラム・アイ」は1997年、生野区の中小零細企業の社長約20名が集まり、共同事業のネットワークづくり、地域活性化を目的として発足。99年には定例会のほかにインターネット研究会、商品開発、独自の販売ルートの研究といった3つの小グループの活動も加わりましたが、周りでは不況の波が押し寄せてきているという状況でした。

  不況の原因は何か? 「モノづくりが暇なのは中国に責任があるのでは?」ということで、2000年11月、メンバー10名ほどで私たちと同業種同規模の上海のメーカーを回りました。

  カバンメーカーでは、20歳くらいの女子が100名ほどで黙々と一斉にミシンを踏んでいます。月給は月1万円程度、600個から生産可能、製品までのリードタイムは40日、6か月先まで受注を抱えていると自慢げに社長は言いました。

  履物工場では、日本の百貨店向けの製品がラインにのって流れていました。婦人・子供用履物メーカーは生産量月3万足まで可能です。「生産ラインは拡大中だ! 輸出先の8割が日本!」と、社長は自信に満ちあふれていました。偶然でしたが、会話の中でメンバーのお得意先が、すでにこの企業へ生産依頼をしていたことを知りました。一同驚きでした。

  成形樹脂工場には、メンバーの会社が以前親会社に返した金型がありました。ここでは、メンバーの親会社が既に生野で生産していた製品を、ラインに組み込んでいたという事実を目の当たりにしました。

  日本のモノづくり、私たちの仕事がどんどん中国に流れていることを実感させられました。中国企業の強さは、確かに脅威でした。

  しかし、現場を見ることで中国企業にも「弱さ」があることを知りました。

 (1)訪問した企業は、総じて日本への輸出商品が多く、安価を求めて中国へ生産拠点を移行したものであった。
 (2)付加価値品(機能、デザインなど含む)が少ない。
 (3)ニーズを把握した開発品や自社ブランドが少ない。
 (4)人海戦術の手作業が多い。
 (5)ベトナムなどの近隣諸国を脅威として感じている。
 (6)人件費の安い国へ安価なモノ作りは流れていく現状。
 (7)量を確保しないと採算が合わない。

  結局は大きな下請け工場です! 中国企業が今後生き残るためには、ニーズをつかんだ商品を開発し、付加価値のある商品づくりが必要だと思いました。

  その時、私たちはもう一歩進んだ商品、販売システムを推進していないと生き残れない。常に自社の位置や立場を認識し、自社が生き残るため模索、検討、実行をし続けなければならない。

  では私たちが勝ち残るための、もう一歩進んだ商品とは何だ? 中小企業だからできる販売システムとは? 結局は私たちも親会社の下請けから抜け出せない。ビジョンを失い、元気を失くしていったフォーラム・アイは、存続の危機に瀕したのです。

■生野を日本のミラノに

 そのころ、若手メンバーが中心になりインターネット研究会を立ち上げ、ホームページをつくって共同受注をしようと研究していました。活動の中でメンバー間の信頼関係が構築され、もう一度建て直しを図るべく、ビジョンづくりにとりかかりました。

  ちょうどその頃、「イタリアのミラノが元気だ」というので調べてみると、10〜50人の中小企業が世界ブランドを持っている。業種も私たちと同様の業種です。私たちは今まで生産効率、販売効率を追求してきましたが、効率を追求すればするほど中国と競争しなければなりません。自分たちの市場で自分たちにあった力で、自分たちの製品、サービスで勝負しようということで「生野を日本のミラノに」というビジョンを掲げました。他社と比較できない、質に特化した高付加価値のモノづくりをめざそうということです。

  そこでまず、ミラノに行きました。ミラノも日本と同様、東欧諸国の崩壊でルーマニア、ブルガリア、ポーランドといった国々が非常に安価なモノづくりをしていて、そういった商品が流れてきていました。しかし、中小企業は世界を市場にモノづくりをしており元気です。

  私たちは、中国のせいでと思っていましたが、違うということに気がついたのです。では、どういうモノづくりをしているのか。ある家具メーカーでは、ニューヨーク、ドイツ、上海、ロシアで展示会をして、そこでニーズをつかむということでした。ターゲットはお金持ちです。そしてデザイナーを実に多彩に起用し、デザイナーのネットワークを使って物を販売するという仕組みを持っているのです。国内だけがマーケットではなく、世界をマーケットと見て、各国の徹底的なリサーチをしています。私たちと同じような10人にも満たない会社が世界をマーケットにするということは考えてもみないことでした。

■世界に通じるモノづくりをめざして

 帰国後、早速活動に取りかかりました。まず、4つの活動を始めました。

  ひとつは、地元から日本に向けて発信しようとプロモーション事業を起こしました。2つ目は、国際交流事業としてはミラノで展示会を計画しています。そのために町工場のおっちゃんおばちゃんが集まり、イタリア語教室を自ら運営し受講しています。

  3つ目は、地域活性化事業では、生野区の名物お好み焼き屋マップや生野地場産業マップをイタリア語で作ろうと活動しています。そして4つ目は、生野から世界に発信する世界ブランド開発事業は、ミラノで学んだデザイナーとのコラボレーションもしくはネットワーク型販売網を構築し、世界に通用するモノづくりを進めています。

  少しずつですが、成果を上げています。グループ企業がメディアに取り上げられ、また、世界的に著名なデザイナーとのコラボレーションも具体化してきており、来年の展示会に向けて商品開発を進めています。

  物だけではなくサービスについても世界に発信していく仕組みを一生懸命つくっています。「いつも元気な人、町、企業をめざして世界へ挑戦していこう」、「生野を日本のミラノに」を合言葉に活動しています。




(納税月報 2004年3月号より)